周富徳氏「料理の鉄人」で親友・道場六三郎との名勝負の結果は?

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炎の料理人」として中華の名店「聘珍樓」や「赤坂璃宮」で総料理長を歴任し、「広東名菜富徳」青山店のオーナーとなった周富徳氏が4月8日亡くなりました。享年71歳でした。

誤嚥性肺炎が直接の死因のようですが、周富徳さんの弟周富輝氏によれば長いこと糖尿病を患っていたとのことです。

1990年代テレビ東京の「浅草橋ヤング洋品店」他、CMに登場していた記憶がありますが、1994年にはHK紅白歌合戦にゲスト出演もしたり、料理人役でドラマ出演し浅野ゆう子とも共演したこともあったそうです。

また、94年には、半生記「炎の料理人 周富徳」が漫画化され、95年には堂本光一主演でドラマ化もされています。

テレビ東京の「浅草橋ヤング洋品店」はテリー伊藤の演出によるもの。

周富徳氏の起用は中華の名店「璃宮」に客として行ったテリー伊藤に総料理長をしていた周富徳氏が、料理の説明をしてくれた際のテンポと会話の面白さに、スカウトしたのだそうです。

でも、周富徳氏といえばなんといっても

テレビの料理バラエティ番組「料理の鉄人」での”和の鉄人・道場六三郎”氏との対決でしたねぇ

周さんが亡くなったことで改めて調べてみたら、道場六三郎氏との対決は、弟の周富輝氏が当時の「中華の鉄人・陳建一」に敗れて、その仇討ちとして実現しました。1回目の「タラバガニ対決」では道場氏に敗れましたが、リターンマッチの「豚肉対決」では、道場氏が豚肉を焦がすというミスがもあり周富徳氏が勝ったそうです。結果は一勝一敗です。

周富徳氏と道場六三郎氏は以前から親友だったそうで、実は、この対決もお互い気乗りはしなかったと言われています。

道場六三郎氏(83)によれば2012年の5月3日に道場さんのお店(銀座ろくさん亭)へ招いた時が周富徳氏との最後だったそうです。体調不良で元気がなかったけれど、道場氏から誘われて嬉しそうにしていたとのことで、

「年齢は一回り下だったが、料理人として尊敬していた。独特のオーラがあって、明るくて、いい人でしたね」と悼みました。

それにしても「料理の鉄人」・・・懐かしいですね(´Д`;)。

巨大なキッチン・スタジアムで、腕に自信ありの挑戦者と鉄人が1つの食材を使って「料理対決」する番組。対決そのものも毎回見ごたえがありましたが、レギュラーとして登場する人たちのキャラも際立っていましたよね。

まず、美食アカデミーという架空の団体の主宰として、西洋クラシカルなコスプレで登場する鹿賀丈史・・・。

番組冒頭の鹿賀丈史の台詞も有名でした。

私の記憶が確かならば…」は、夭逝の天才詩人・アルチュール・ランボーの「地獄の季節」の冒頭部分なんだって(知らなかった)。

そして、他にも名セリフが沢山生まれましたね。

蘇るがいい、アイアンシェフ!」なんていうのもありました。

審査員として登場した岸朝子さんの

大変おいしゅうございました」もあったり・・・。

和の鉄人・・・初代・道場六三郎、二代目・中村孝明、三代目・森本正治

フレンチの鉄人・・・初代・石鍋裕、二代目・坂井宏行

中華の鉄人・・・陳建一

などがいました。

挑戦者では、「関西料理界のドン」と呼ばれる神田川俊郎氏がよく出ていたのを覚えています。(カツラが印象的)

また、「食材」という言葉が一般的になったのは、この番組がきっかけだそうです。

中華の巨星・周富徳氏のご冥福をお祈りします。

 

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